現実逃避日記

おもにゲームの事について書いていこうと思います

ポッ拳で描かれるポケモン世界とは -描かれる世界観とガチ対戦との乖離-

グリーン的ポケモン観とオーキド的ポケモン観の両立

ポケモンは初代から、その魅力的なキャラクター達の存在だけでなく
収集(厳選)、育成、構築、通信(対戦 交換)というゲームとしての面白さ
人とポケモンが共存する世界で、旅とバトルを通して仲間との信頼関係を築き、成長していくストーリーが魅力のゲームとして今まで続いてきた


ある意味遠い位置に存在する2つのポケモン観は作中でも時折対比させられる。顕著な例として初代ポケモンのラストバトルでは
完璧なポケモンを探し、いろんなタイプのポケモンに勝ちまくるようなコンビネーションを探し勝つ事を目指したグリーンと
ポケモン達への信頼と愛情を忘れないことが最終的に強さへ繋がると説くオーキドを描き物語はエンディングを迎えた

物語のクライマックスに明確に描写されたこの2つのポケモン観のどちらかだけが正しいという事はなく、今でもこの2つの価値観がポケモン世界を大きく形作っていると言えるだろう
しかし対戦の戦略性と面白さが深まる度、またポケモンの世界観が深みを増す度、これら2つに埋めきれないズレが生まれてしまっているのではないだろうか

明確な相性、強弱が存在するポケモン
ポケモン同士の組み合わせや、育成方法を対戦環境を踏まえて吟味し
自分の選出した複数匹のポケモンを駒として動かし勝ちまで導く対戦システムこそポケモン対戦の醍醐味と言えるが、

その反面必ずしも自分の好きなポケモンを活躍させられるとは限らず、ストーリーで出会った愛着の湧いたポケモン達も対人戦やクリア後のやり込みプレイで活躍させることが難しい

これらストーリーで描かれる世界観とゲーム的な面白さの乖離が深刻な問題となっている

ポケモン本編はポケモン本編でいずれこの問題に対して何かしらの答えを出してほしいと願っているが、ここではアクションゲームとしてポケモン世界を描くことでガチ対戦の面白さとオーキド的ポケモン観を両立させたゲームを紹介したいと思う

収集 育成 構築の要素を捨て、1匹との関係の密度を高めたポッ拳

ポケモン本編の流れを全て汲む必要がない外伝作品でありポケモン初の格闘ゲームであるポッ拳は、本編を構成する要素に縛られることなく対戦の面白さと世界観の表現の両立を違和感なく行っている

格闘ゲームと聞くと反射神経や操作技術が重要なゲーム性のように思えるが、ポッ拳の場合さほど重要ではなく(勿論あるに越したことはないが…)
本編同様対戦に関する豊富な知識と、読み合いやゲームメイクの上手さが重視されるゲーム性である
そういう意味ではジャンルこそ違えど対戦の面白さはそれなりに似た部分があると個人的に思っているのだが、行われる駆け引きと必要な知識が大きく違う

メタゲームの要素を含んだ育成や構築、パーティー単位でのゲームメイクといった本編対戦での膨大で複雑な取捨選択の要素を廃した代わりに、1vs1の戦いに情報量が集中する


プレイアブルキャラの23匹はどのポケモンもガチ対戦で勝ち上がれる高いポテンシャルを持ちつつも、反面その強さをより引き出そうとするたび膨大な知識と経験が必要な奥深さを持つ

初心者も上級者も使うポケモンの性能自体は全く変わらない為、ポケモンの潜在能力は何によって引き出されるかを追及し続ける事になる

それによって面白いことに、使い手の能力の引き出し方によって覚える技やステータスといった育成要素を薄くしても使い手の違いによるポケモンの個性を生み出しているのだ

言ってしまえば好きなポケモンで勝てるよう頑張れば勝てるようになるし逆に使っているポケモンとひたすら向き合い、理解し、信頼を置かない限り使うポケモンの能力を引き出せない

ガチ対戦を楽しむにあたって必然的に自分の使う1匹の事をひたすらに考え続けることになり、初めは軽い気持ちで決めたパートナーであっても気が付けば自分の最も信じられる相棒のような存在になっている

つまり、オーキドの言葉などから代表されるポケモン世界観に即したロールプレイがガチ対戦を楽しむ場合においても可能なのだ

これらのゲーム性はプレイヤー層にも反映されるのか、ポッ拳プレイヤーは初心者から上級者まで、特に上級者にキャラ愛が一際深いプレイヤーであったり、モナー(ポケモナー)が他のポケモンコンテンツのファンと比べても異様に多い傾向にあったりする

 

アクションゲームとしてポケモン世界を描くことで、今までのゲーム作品では描ききれずにいたポケモンの良さをゲームに落とし込めたポッ拳

ポケモンの新しい可能性を見い出せるかもしれない作品だと強く感じています